旅馬の舞台裏

2019年元旦のできごと

元旦の朝、いつもより少し寝坊して起きました。

家族でおせちを囲み、新年のあいさつ→お年玉と定例のイベントをこなし、金粉入りの日本酒で乾杯。

ひととおりおせちを楽しんだ後、初詣に出かけました。

家の最寄の神社は、菅原道真ゆかりの「綱敷天満宮つなしきてんまんぐう」なんですが、受験を控えたご家族がお集まりになっているのか、毎年長蛇の列が出来ています。

www.tsunashikitenmangu.or.jp

そこで、去年もお参りした、JR神戸駅前にある楠木正成くすのきまさしげ公ゆかりの湊川神社へ行くことにしたのです。

http://www.minatogawajinja.or.jp/www.minatogawajinja.or.jp

自宅から湊川神社までは、市バスとJRに乗っていくのですが、神戸市営バスと地下鉄は、「エコファミリー」という制度があって、週休日や夏休み期間、年末年始など市が定めた日は、大人1人につき同行の小学生以下2人までが無料になるのです。

和休の自宅は鉄道駅からは少し離れているので、駅へ行くにはバスに乗らなければならないのですが、この制度があるお陰で、休みの日は車が混み合う市街地へ電車で気軽に行くことができます。

湊川神社に到着しました。今年もすごい人出です。入口付近では、警察官による交通整理が行われています。

人ごみにもまれながら、やっと正門前までやってきました。

本殿へ向かう参道の両側には、屋台が立ち並び、美味そうな香りが立ち込めています。

これはすごい!

なーんと、いちご大福の専門店が出店していました。

おや、「水戸黄門銅像」の案内がありますね。

ご存知のとおり、水戸黄門と言えば江戸時代の人物で、水戸藩の二代目藩主です。

鎌倉時代末期の人物で、関西地方で活躍した楠木正成公とどんな繋りがあるのだろうと、境内の案内板を読んでみました。

ここ湊川神社は、1336年の湊川の合戦で足利尊氏と戦い、殉節(自害)した楠木正成公の墓がある場所なのです。

長らくひっそりと祀られていたのですが、1692年に、『大日本史』の編纂を進めていた水戸光圀公(水戸黄門)が、忠誠と正義を貫いた楠木正成公を慕って、墓碑を建立したそうです。

当時の日本史の教科書であった大日本史は、吉野に逃れた南朝を正統とし、南朝後醍醐天皇に仕えていた楠木正成公を忠臣と讃えているのです。

最期まで天皇を護った楠木正成公の生き様は、のちの維新志士に影響を与え、幕末には多くの志士たちが参拝しています。

明治維新により天皇親政体制へ転換すると、楠木正成公の御神霊ごしんれいを奉斎したいという国民運動が盛んになりました。

この気運の高まりを受けて1868年(明治元年)、明治天皇楠木正成公の忠義を後世に伝えるため、神社を創建するよう命じ、湊川神社が建立されたのでした。

さて、本殿にやってまいりました。一度に大勢が殺到しないように、手前で入場規制が敷かれています。

ほどなくして和休達の番になり、今年一年の家族の無事をお願いしました。

さて帰ろうと顔を見上げると、本殿の上に、、、

ハートが!!!(゚Д゚)

顔にも見える!!!

何だこれー!?(ノ´∀`*)

まさか、楠木正成公!?(: ・`д・´)

と、最後に謎なものを見つけてしまいました。