兵庫県神戸市に大仏があるのをご存知でしょうか。
和休は、最近まで知りませんでした。
ある日のこと、JR神戸駅から地下鉄長田駅までバスに乗りました。途中、「兵庫大仏前」という停留所があったんですね。
え!こんなところに大仏!?と思い、降りてみようと思ったのですが、時刻はすでに19時を過ぎているので、こんな時間からはお参りできないと思い、また次の機会にしたのです。
思い立ったが吉日
それから半年ほどたった2020年11月22日のこと。
妻が仕事に出て和休が子供達と留守番することになったのですが、天気もいいので、散歩がてら大仏様にお参りに行くとこにしました。
神戸市営地下鉄上沢駅で下車し、南方向へ向かいます。
一応、大仏様がいる能福寺というお寺の場所は調べてきたのですが、ツーリングと同様、適当なルーティングの和休ですので、「大体あっちの方角だろう」で歩き始めました。
本日のルート
上沢駅東出口2を出て南東へ進んでいけば、JR兵庫駅に到着します。
国道2号線を地下道でくぐったら兵庫大仏の案内看板が出てきましたので、矢印に沿って東へ進みます。
兵庫駅から約10分ほど歩くと、案内看板で示された2つ目の信号がある古湊線という道路に出ますので、これを左折します。
会下山線との大きな交差点に出ると、角にファミリーマートがあります。兵庫大仏のある能福寺は、このファミリーマートのすぐ隣になります。
能福寺
※営業時間等は、和休が調べたものです。
ちょいと歴史に触れてみましょう
さて、2021年現在の兵庫県庁は、JRの駅でいうと元町駅が最寄り。最も栄えている街は、JR三宮駅周辺になります。
ですが、明治までは、ここ兵庫の地に県庁が置かれ、近くにある新開地は大衆文化の中心地として大いに栄るなど、政治・文化ともに兵庫県の中心だったのです。
兵庫に県庁が置かれたので、「兵庫県」になったんだとか。
平安時代の兵庫周辺は、「大輪田の泊」という港町でした(鎌倉時代以降「兵庫津」と呼ばれるようになりました。)。「天台宗」の祖である最澄という僧が、唐(現在の中国)から帰国したのがこの港です。
最澄はこの地で「能福護国密寺」を建て、これが現在の能福寺のルーツだそうです。
その後、平 清盛公が宋(現在の中国)との貿易の拠点として大規模に修築し、のちに都(福原京)が置かれ、発展してきました。
平 清盛公が亡くなると、その遺骨は遺言に従い、能福寺に埋葬されました。
時は流れ、1341年に能福寺は兵火により全焼しましたが、1599年に再建。大仏様が建立されたのは、1892年(明治25年)のこと。
建立された背景ですが、明治維新で行われた廃仏毀釈、神仏分離により仏教が衰退し、代わってキリスト教がその影響力を高めつつありました。
キリスト教の台頭を危惧した、南條荘兵衛という人物が大仏建立を発案したそうです。
初代の大仏様が建立された当時は、神戸に到着した船乗りたちを通じて、海外にまでその名を知られるものだったそうですが、1944年(昭和19年)、太平洋戦争の金属回収令により解体、翌年の戦火により能福寺は全焼してしまいました。
1991年(平成3年)、大仏様は再建され、現在に至ります。二代目を建立する際、解体された初代大仏様の破片を混ぜ、新旧一体として再建されたそうですよ。
これらの情報は、能福寺HP、兵庫県庁HPより一部を引用しました。
能福寺に到着
能福寺の目の前には、「平清盛公墓所」の看板が置かれていました。和休は全く予習していなかったので、こんなところで「平清盛公」が出てくることに少し驚きました。
兵庫大仏の看板も掲げられています。社寺仏閣には珍しく、英語表記もあるところが、神戸らしさを感じますね。
兵庫の大仏様
門からは、一直線に大仏様を拝むことができます。大仏様のスペックは、高さ18m(像高11m)。こんなに巨大な大仏様が神戸にあったのか!と驚きましたよ。
高さ18mって、横浜の「動くガンダム」、JR新長田駅前にある「鉄人28号」とほぼ同じ大きさですよ。
ちなみに、奈良の大仏様は像高15m、鎌倉の大仏様は像高11.31mでほぼ同じ大きさだそうです。
階段を上って大仏様の足元まで近づくことができます。ちなみに、大仏様の台座内部は「ビルシャナ殿」といい、木造十一面観音菩薩立像が置かれています。
ビルシャナ殿は、永代供養をされている方のみ拝観可能です。一般公開は、一年最初の縁日法会の日のみです。
大仏様の右下にお参りの作法が記されているので、作法にうとい和休でもお参りできました。
本殿・「月輪影殿」
こちらが本殿の「月輪影殿」です。
本殿はもと東山の歴代皇族の墓陵「月輪影殿」にありました九条公爵家(大正天皇のお妃貞明皇后さまのお里方)の拝殿で明治、大正、昭和の歴代天皇陛下が京都に行幸された際には必ずご参拝あそばれたといわれる最も由緒高き歴史建造物であります。
昭和二十八年(1953)宮内省と九条家により能福寺に特別に御下賜され、移築されました。
能福寺HPより一部を引用しました。
ジョセフ・ヒコ英文碑
本殿の側には、ジョセフ・ヒコ英文碑が置かれています。
案内看板によると、アメリカのリンカーン大統領と握手した唯一の日本人、浜田彦蔵(アメリカに帰化し、ジョセフ・ヒコとなった。)の手による英文碑です。
浜田彦蔵は、播磨の国(現在の兵庫県加古郡播磨町)出身の人物。13歳の時に乗船していた船が嵐にあい難破、約2か月間漂流ののち、アメリカの船に助け出されました。
日本に帰国後は、日本で初めて新聞を発行し、「新聞の父」と呼ばれています。
神戸港に到着した外国人客が大仏様を一目みようと多数参拝に訪れたことから、住職がジョセフ・ヒコに依頼して建立したと伝えられており、我が国初の英文碑といわれています。
その他、境内には、「神戸事件」の責任を取って切腹した備前藩士・滝 善三郎の慰霊碑、姫路城を戦乱の犠牲から救った北風 正造の碑、平 清盛公の墓所である平相国廟などの見どころも盛りだくさん。
能福寺自体はそんなに広い敷地ではないのですが、さまざまな時代の文化財がぎゅっと詰まっています。歴史好きなら訪れて損はありません。
バイク駐車場あり
境内にバイク駐車場があり、バイクで訪れることができます。バイクで訪れた場合、門から入って右側、本殿の横あたりに止めることができます。
兵庫大仏前停留所
こちらが和休が兵庫大仏を知るきっかけとなった、「兵庫大仏前停留所」です。バス停から大仏様までは2~3分です。
バスの本数は、1時間に1~2本あります。JR神戸駅から、神戸市バス96系統新長田駅前行きにお乗りください。
この辺りは兵庫大仏をはじめ、さまざまな史跡があります。散歩がてら歩いてみると、いろんな発見ができると思いますよ。