旅馬の舞台裏

明延鉱山 第10回 一円電車まつり に行きました

2016年10月2日兵庫県養父市大屋町明延で開催された、「第10回 一円電車まつり」に行きました。

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明延鉱山とは

明延鉱山とは「スズ」を産出する鉱山で、かつて日本一の産出量を誇りましたが、外国から安い鉱石が輸入されてくるようになり1987年(昭和62年)に閉山しました。

最盛期は、鉱山で働く方は約1,900名、その家族を合わせるとおよそ4,000名の人々が明延に住んでいたといわれています。

鉱山は三菱系の会社が保有しており、鉱山での労働環境はきついものでありましたが、福利厚生面では優遇されていたそうで、社宅が整備され現在のスーパーマーケットのような購買部が設置されていました。

かつて明延の町にはおよそ90軒の店舗があり、明延から一番近い大きな街であった姫路よりも物が揃っている、などといわれていたそうです。

明延鉱山で掘られた鉱石を含む石は、トロッコに載せられて6km離れた山の反対側にある「神子畑(みこばた)選鉱場」まで運ばれていました。

神子畑まではトンネルが掘られ、トロッコが毎日およそ100tもの石を運んでいたそうです。

一円電車とは、その線路で運行されていたトロッコに客車を連結し、従業員や一般客を運びました。

乗客数を簡単に数えるため、乗車賃を1円に設定。このため「一円電車」と呼ばれるようになりました。

神子畑からは、バスで播但線新井駅」まで出ることができ姫路、大阪、岡山へのアクセスも比較的良好だったそうです。

閉山後、トロッコと、けん引していたバッテリー駆動の電気機関車、客車は静態保存されていましたが、町おこしの一環で一円電車を復活させようということになり、2007年(平成19年)に開催された「第1回 ふるさと明延まつり」でついに運転が再開されました。

一円電車に乗ります

今日は、復活した一円電車に乗れるイベントということで、明延にやってきました。

神戸からは、中国自動車道山崎ICから国道29号線、県道6号線を経由しておよそ2時間半で到着しました。会場に到着すると、大勢の方が集まっています。

これが一円電車の客車「くろがね号」です。現在の営業路線はまだ70mですが、目標は600mの軌道を走らせることだそうです。

乗客を乗せ、ゴトゴトと出発。乗り心地は良いとは言えませんが、小さな窓から心地よい風が吹き込んできます。向かいの人とは膝があたってしまうほどの小さな客車です。

明延鉱山探検坑道見学会

今日は特別に「明延鉱山探検坑道見学会」が開催され、普段は閉鎖されている坑道を見学することができます。

ガイドさんが鉱山を説明しながら案内してくださる関係で、見学会に参加するには予約が必要でした。

坑道の中は常に14℃に保たれており、夏でも天然のクーラーが効いています。

写真の左側に太いパイプが通っているのがわかりますか?

これは圧縮空気を通すためのもので、かつての鉱山では電気の事情があまり良くなく、また、ガソリンや軽油など排気ガスがでる機械は使用できないことから、工具の動力は空気が主役でした。

空気のパイプは、鉱山の隅々まで張り巡らされ、鉱山の中に中継用のコンプレッサーが2か所設置されていたそうです。

これは、発破したあとに生じた石を一時的にためておく井戸と呼ばれるものです。

石を抑えている板を外すと後ろに積まれた大量の石が流れ出てくるので、「絶対さわらないように!くずれたら生き埋めですよ。」と注意を受けました。

エレベーターです。坑内での縦の移動はエレベーターのみです。

ドアはなく、代わりに転落防止の網が備えられています。エレベーターの速度は、一般的なエレベーターのおよそ倍ほどのスピードで昇降するそうです。

大きな作業機械を運ぶときは、エレベーターに収まるように機械をガスで溶断し、エレベーターで運んだあと作業する階で溶接し、組み立てて使用したそうです。

坑内を巡回するパトロールカーです。が、よく脱線することから「見回っているのか邪魔しに来ているのかどっちなんじゃい!」といわれていたそうです。

世界最大のロードホールダンプです。坑内でも晩年はエンジンを使用した機械が稼働していました。

和休はAUの3G携帯電話を使っていますが、お祭りの会場では圏外になってしまいました。妻のdocomoはつながっていました。